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万葉集と梅の花の歌「初春の令月…」 について
新元号「令和」(れいわ)の由来となった万葉集の歌「梅花の歌」についてまとめました。
万葉集と梅花の歌「初春の令月…」 の意味と解釈
初春の令月にして、
氣淑く風和ぎ、
梅は鏡前の粉を披き、
蘭は珮後の香を薫す。
出典元について
万葉集の
梅花(うめのはな)の歌三十二首の序文
からです。
(序文、つまり文章なので、引用元も句読点をつけています)
万葉集と梅花の歌「初春の令月…」 の単語の読み方・意味
令月(れいげつ)
《令月》は陰暦2月の異称で、何事を始めるにも良い月
氣淑く(きよく)
披(ひら)き
珮後(はいご)
直訳すると「身につけている物の後ろ」といった意味です。
「珮」は「おびもの」とも読み、身につけるもの、装飾品ともいわれています。
万葉集と梅花の歌「初春の令月…」 の解釈
初春の(何事をするにも)よい月にして、空気はよく風は爽やかである。
梅は鏡の前の美女がよそおう白粉(おしろい)のように開き、蘭は身に飾った香水のように薫(かお)っている。
万葉集と梅花の歌「初春の令月…」 の背景
万葉集のつくられた時代と歌の背景についてです。
大伴旅人(おおとものたびと)の邸宅で、梅の花を見る集まりを催した際のことではないかといわれています。
この時代では梅はとても珍しい花。中国から日本へと伝わってきた梅の花は美しいだけでなく珍しい貴重なものとしての意味もあったようです。
その珍しい梅を邸宅に置いていた大伴旅人(万葉集にも関わっている大伴家持の父)は、地方の官僚という立場(お金持ち)だったんですね。
ですので、梅の花の風景とその周囲の光景のコントラストを思わせるこの歌は、単に穏やかという一面だけでなく、華やかさとゴージャスさもさりげなく盛り込まれた様子を歌っているともいえます。
雑学:日本の和歌は桜よりも梅を愛でたものが多い
日本といえば桜、といわれますが、万葉集をはじめ、日本の和歌では桜よりも梅をうたっているものの方が多いのです。
新元号でも「桜」を予想していた人が多かったのですが、梅にまつわる歌から元号を取った…というのには納得です。
新元号「令和」を万葉集からとった意図や理由
日本の文書から選ぶ
万葉集の梅の花の歌から取ったものであり、中国の文書ではなく、日本の文書から選ばれた、というのが一つの理由になっています。
梅の花の和歌由来
梅の花の、厳しい寒さの後に春の訪れを告げ見事に花を咲かせる様子から、「一人ひとりが大きな花を咲かせる意味、梅のように咲き誇る花を咲かせる日本でありたい」という意味も込められているようです。
引用された歌には梅と蘭が含まれていますし、時代の流れ、まさに「時代のにおい」というものも意味合い的には新元号をマッチングさせるのにも適していたのではないでしょうか?