映画「凶悪」はなんとも後味の悪い雰囲気でラストを迎えます。ラストシーンの意味とそこから導かれる結末、モデルとなった現実の事件についてまとめてみました。
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映画「凶悪」ラストシーンの意味は?
映画「凶悪」のラストシーン
面会室に一人取り残された藤井。
面会用の対面板(プラスチックの板)を眺める様子が、まさに対面から撮影されたカットで、画角は藤井から離れ、暗い闇があたりを囲むようになっていきます。
映画「凶悪」のラストシーン演出の意味
いうなれば藤井が「闇落ち」、闇に落ちていく、正義的な面からも湧き上がってきた己の欲望と使命にも飲み込まれていくーーという意味だったように感じられました。
映画「凶悪」ラストシーンの顔の陰影
映画の最後、木村との面会での藤井の顔・表情を映し出すシーンが印象的です。
藤井の顔の陰影が強い場面です。
- 右の瞳に光を宿したような眼力
- 左目が影になっている
映画「凶悪」においての光と影、陽と陰、正義と悪、のような表裏一体を感じさせるカットでもありました。
ここまでストーリーが進む中で、藤井の中にある葛藤や混沌とした気持ち、また二面性も表すような演出のように私はとらえました!
映画「凶悪」ラストシーン・結末に向けた演出
藤井(山田孝之)の演技・演出・風貌
- 目の下のクマ
- 清潔感のないヒゲ
- 姿勢の悪さ
目の下のクマやヒゲなどは疲労感や時間の流れを演出しているように見て取れます。
木村は老人を狙うにあたり、老人ホームに狙いを定めてめぼしい老人を共犯である老人ホーム経営者・福森から情報を得ていました。
福森(九十九一)の演技・演出・風貌
福森役を演じた九十九一さんは身長は170cmないので比較的小柄なタイプの演者さんなのですが、山田孝之さんもさらに小柄な俳優さんです。
ですが、後半の福森の姿はより小柄にみえるカットがいくつかみられました。
藤井の妻「楽しかったんでしょう?」
藤井は妻に痛烈な皮肉を言われるシーンがあります。それが「楽しかったんでしょう?」というセリフです。
「楽しかったでしょ?こんな狂った事件を追っかけて。読んだ私も楽しかった。怖いもの見たさで読んだ。世の中こんなに悪い奴らがいるんだなあって」
藤井役のモデルとなった宮本太一さんが、当時の自分自身を皮肉る演出として
ありえない凶悪事件を追っている楽しさ
ありえない凶悪事件を追っている自分自身という存在すらをも楽しんでいた
といったことを含んだセリフとして使われたようです。
藤井の母の介護問題と藤井自身と妻の問題
映画「凶悪」の軸は「厄介者の老人を家族の依頼によって死なせる・殺す」という犯罪に、藤井の母の介護問題が重なる部分にあります。
- 藤井の母を介護する妻に協力できたかどうか
- 藤井の母を介護する妻を精神的に支えられたかどうか
- 藤井の母を妻に押し付けて仕事に逃げていた一面を認めたかどうか
- 妻と離婚するかどうか
- 藤井の母を介護施設に入所させるかどうか
息子として夫として、いくつもの問題の場面があったにも関わらず、最後の最後でようやく「介護施設に入所させる」となりました。
藤井は夫として見ると最悪…と女性たちはかんじるのではないでしょうか?
- 自分の母の介護を妻に押し付けっぱなし
- 家にたまにしか帰ってこない
- そのくせ疲れていて妻に任せっぱなし
- 認知症の母には優しいくせに、認知症の母のせいで大変な苦労を強いられている妻はないがしろ状態
- 自分が面倒をみないくせに介護施設に入れることを反対
殺人事件と介護施設への入所の重ね合わせ
介護施設への入所反対は、木村と須藤による殺人事件ーー老人ホームを狙った保険金目当ての犯行ーーが頭の片隅にあったのかもしれません。
自分が追っている殺人事件では「世話をしたくない」「迷惑な老人」として消そうとする息子・娘たちといった家族の姿がある。
自分の母親を介護施設に入れることは”同じような行為”になるのでは…といった気概やプライドがあったと考えられます。
映画「凶悪」ラスト結末のその後
木村のセリフ
「私は無期懲役だ。死刑ではない。私を死刑にしたいのはきっと被害者でもない、須藤でも無い」
最後に藤井のことを指さし去っていきます。
藤井は木村のいなくなった席をただただ見つめている。
藤井は木村に利用された(死刑→無期懲役になった)が、利用されながらも事件を追っていたのは「楽しかった」から。残忍な事件を追っていて「楽しかった」、そしてその残忍な事件が書かれた記事を雑誌を読んで「楽しかった」と思っている読者・社会がある、さらに映画「凶悪」を見ている観客も「楽しかった」のひとりであることを示唆するラストです。
この後も藤井は「楽しかった」=記者を続けていく=「楽しかった」の凶悪さにおちていくーーというその後が示唆されています。
映画「凶悪」実在のモデル・事件の結末・その後
映画のラストシーンとは真逆?
映画「凶悪」のモデルとなっているのは
雑誌「新潮45」
記者・藤井=記者・宮本太一
記者であった宮本太一さんは死刑囚から得た情報から2005年に「新潮45」に記事を掲載、2008年には「新潮45」の編集長に就任しています。
さらに宮本太一さんは、映画「凶悪」という客観的かつ商業スケールで一連の出来事を伝えるまでになりました。
そういった意味では、映画「凶悪」のラストシーンの「闇に飲まれ落ちていく」雰囲気とは全く逆で、白昼堂々とあったことを晒した「光にさらされる」道に進んだともいえるのでは?と個人的に思いました。