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村岡花子について
村岡花子
1893年(明治26年)〜1968年(昭和43年)
職業:児童文学者、翻訳家
出身地:山梨県
出身校:東洋英和女学校高等部
- 東洋英和女学校で宣教師から英語を学ぶ
- 高等部卒業後、英語教師として山梨英和女学校に赴任
- 英語教師をしながら童話や少女小説を執筆
- その後、教師を辞めて執筆・翻訳活動に励む
- 『赤毛のアン』をはじめ、海外の童話・児童文学を数多く日本に紹介した
少女文学の金字塔「赤毛のアン」シリーズの翻訳者として知られています。
NHK連続テレビ小説「花子とアン」のモデルとなったことでも有名になりました。
心の宝
ほそい道には、ひろい、まっすぐの道よりも
ずっとたくさんの
心の宝が
そなえられている
この道というのは、実際の道のことでしょうか?
これは心細い人生の道にも思えます。
さらに道に宝物が「ある」「おちている」「置いている」のではなく
「そなえられている」
供えなのか?備えなのか?
とても奥の深い名言です。
やっぱり私は幸福だ。
やっぱり私は幸福だ。
花の水を替えてやりながら、
つくづくと愛することの
しあわせを
噛み締めている私である
幸せである、とただ噛みしめるだけでなく
「やっぱり」と言っています。
再認識の、「やっぱり」という一言。
幸福はありふれた日常にあるのに、なかなか気づけないもの。
気づいたとしても、当たり前すぎて、普通すぎて、変わらなすぎて、この幸福は本当なのだろうか?と不安になるものです。
それを「やっぱり」と思えるのは、
「花の水を替えて」あげられる心のゆとりから。
きっと愛することの表れが花の水を替えることにも繋がっているのでしょう。
「しあわせを噛みしめている私である」と客観的に見ているのは
幸福の真っ只中にいるというよりも、この事実をとことん噛み締めたい、どこか夢見心地な部分もあるのかもしれませんね。
彼らは私の中に生きている。
私はその長い年月を悔やみはしない。
淋しさも感じない。
最愛の人々をも送っている。
けれども、彼らは私の中に生きている。
むくいのない仕事だといって
なげくことはない。
魂に彫刻する仕事は
いかにささやかであろうとも、必ず生命を持っている。
愛する人、家族との死別の後の人生を語っているような名言です。
実際の村岡花子さんの仕事というよりも
「魂に彫刻する仕事」
とは、思い出や記憶のことのようにも捉えられます。