内田康夫「孤道」原作ネタバレ詳細(中編)!真犯人と展開予想は?

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内田康夫「孤道」のあらすじ・ネタバレを紹介していきます!今回は中盤の物語です。

 

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内田康夫氏遺作かつ未完の作品「孤道」

どうも、ミステリー小説を娯楽にしている三神かな子です。人殺しの話を読むなんて趣味が悪いとか言わないでくださいね!

 

今年3月に逝去された内田康夫氏の遺作となってしまった「孤道」について。


こちらの本、毎日新聞に連載していたのですが、内田康夫さんの体調不良により休載。未完でありながらも出版に踏み切った本です。

この本のあらすじおよびネタバレを語っていきます。

……しかしながら、長くなってしまったので、「前編」「中編」「後編」と分けての紹介!

今回は「中編」です!

 

内田康夫「孤道」のネタバレ詳細は?(中盤以降)

 

第四章 阿武山古墳

八紘昭建から立ち去ろうとする鳥羽を足止めするように、鳥羽のスマホが鳴り響いた。

三千惠からで、浅見への用件だった……

話によると藤白神社の宮司が、できれば鈴木家で浅見に会いたいのだという。

松江には「改めて」と挨拶をし、鳥羽とは会社を出たところで別れた。

 

鈴木家に行き、宮司の大谷隆と対面して話をすることにーー。

大谷宮司の話は鈴木義弘殺害事件に関することなので、真代にも聞いてもらわないといけないーー鈴木義弘に関連して、もう少し複雑な話ーー祖父の義麿の話もしなければいけないのだという。

大宮宮司いわく、義麿のことと義弘の殺害がつながっていると思うのは直感だけれども名探偵である浅見には聞かせておかなければと思ったとのこと。

大谷宮司は、義麿と義弘から預かっている物があるーー簡単にいうと、義麿が書き綴ったノート……日誌、リポート、覚え書き、そういった膨大な記録ノートが神社にあるのだという。「遺品」にあたるものが義弘に託されたらしく、それを直接義弘から大谷宮司が受取預かっているという。

浅見と真代はすぐに大谷宮司とともに神社に向かい、得体の知れないノートを確認することにした。

宮司の住まい部分の応接間で三千惠からもてなされつつ、大谷宮司が運んできたダンボール箱いっぱいの大学ノートを確認した。

義弘から預かったのは半月まえほどで「祖父から託された物だが自分にはどうしたら良いのか分からないので何かに役立ててくれ」と言われたという。預かった時には何も分からなかったが中をみてビックリしたのだという。

真代が何が書いてあるのかを大谷宮司に聞くが、ざっと見たばかりで一言では説明できないという。とにかくえらいものが見つかったというのだけは間違いないので、浅見が一度目を通すのがよいと判断したーー。

ノートは大宮宮司、真代ともに浅見が拝借することを承諾。

大学ノートは横書きで西暦がふってあり、すべて算用数字、アルファベットなども書いてあるーー時代背景からするに、横書きは一般的ではなく戦時中は敵性用語である英語は絶対に禁止だったはずーーあえて横書きを選び一貫して書く義麿の意志の強さを感じるものだった。

ノートは大谷宮司も真代も、文字の細やかさや内容の難解さに音を上げて、全てを浅見に任せることにした。

 

浅見は藤白神社から立ち去り、鳥羽と待ち合わせの紀伊田辺駅へ向かい合流、三千惠が以前勤めていた「浜屋」で行き食事をとるものの、浅見はすぐに腰を上げて、鳥羽の住居へ向かった。

早速浅見は義麿のノートを読みはじめたーー

 

「僕はその時眞つ暗闇の底に居た。闇がしきりに搖れて居る。大きく左に右に上下に搖れて居る。一體(いつたい)何が起きたのか判らない。」

 

いきなりこういう書き出しで、書いた当時13歳とは思えないものだったーー。

この書き出しから、地震のことではないか?と推測、鳥羽とともに「北丹後地震」のことでは?と考えがたどり着く。義麿が9歳のときに体験した地震の描写から始まるノートは、そこから「なぜ地震が起きるのか?」「どうしたらいいのか?」という疑問や能動的な発想へと広がっていくものだった。

「地震とは何なのか?」を貪欲に知識を仕込んでいく様子がノートから伺えてくる。義麿のあくことなき好奇心、探究心、模索と試行錯誤が続くノートが発する情熱に引きづられるように浅見はノートを読み進めるのを止められなかった。

 

夜中遅くまで読み、翌朝も朝食のテーブルでノートを広げはじめるのを見て鳥羽は「何がそんなに面白いのか」と呆れ顔。

浅見は「義麿さんという人物がどういう生き方をしたのか知りたいだけだ」。事件解決に役立つと信じていて、義麿を知るにはノートを読むしか方法はないと考えていた。

鳥羽とのやり取りの中で、八紘昭建の松江が言っていた「義麿が京都大学へ進んだのは教授からの引きがあった」と言う部分に合致する箇所も、浅見はノートから見つけたと鳥羽に披露する。

 

「京都大學理學部教授の森高露樹先生に教へて戴けることになつた。」

 

1932年4月29日、義麿少年13歳、中学2年になったばかりの春のこと。

義麿自身の解説だと、森高教授は50代なかば、日本の地球物理学の分野では最も著名な学者、学問に対して極めて厳格かつ熱心な人物として知られていたらしい。

 

そんな高名な教授に、いくら神童と名高い中学生が接近して直接教えを受けることが可能なのか?

 

浅見が疑問をぶつけようという矢先、鳥羽は出勤のため外出。浅見は一人鳥羽の住まいでノートへと向かおうとするが、八紘昭建の松江から連絡が入った。

 

京都大地震観測所は80年前からあり、阿武山の東側麓一帯に鈴木家が昔から持っていた土地が広がっていたという。

しかしながら、電話の客がその土地を欲しいと言ってきたかどうかはハッキリわからない。

さらに阿武山の南のほうに、阿武山古墳があり、その辺にも鈴木家名義の土地があったことは確かだけれども、いまもあるのかないのかはっきりしないという。

実は京都大地震観測所の土地が元を正せば鈴木家の地所の一部だったということは分かっている。

 

浅見は「義麿ノート」の究極の答えを聞いた思いがした。

 

さらに松江の話は続く。

 

それ以前は何もない山林ばかりのところ、観測所ができたのをきっかけに周辺の開発が進み、大学や病院など公共施設が集まるようになったと考えられるーーでも台帳を見た結果、阿武山古墳に近い周辺部分について名義が全て抹消されているという。

なぜそうなったかは分からないが、はっきりしているのは、阿武山古墳付近の土地はほとんど残っていないということーー鈴木家の名義だったと思われる土地を国が全部取り上げてしまった可能性が高いのだという。台帳によると昭和9年で名義が途絶えていた。

抹消後、どうなったのかの記録がない……理由がはっきりしないような、記録ができないようなことがあった?つまり国か軍が関係していたのではないか?というのが松江の見解だった。

 

となると、電話の客は土地や物件を欲しかったわけではないーー。

 

松江はさらに思い出したことがあり、義弘が電話の相手に最後のほうで「僕が何を隠しとる言うんやね』と怒鳴っていたという。

義弘は隠し事をしていないのに、電話の相手は義弘は何かを隠していると思っていたーー?

 

松江の電話の後、浅見は「義麿ノート」に鈴木家の土地が台帳から抹消された昭和9年(1934年)当時の記述がないかを見てみることにした。義麿少年16歳、中学4年のこと。

 

昭和5年に京都大学が地震観測所を阿武山に建設したことが書かれていた。

義麿ノートにはこのあたりからしきりに「森高先生」の名前と関連する記述が出てくる。

森高は昭和5年から始まった阿武山地震観測所の建設を指導・指揮していて、現場である高槻市に出かけることが多く、その「出張」に義麿もしばしば同行していたことが記されていた。

 

義麿が初めて森高にあったのが中学2年のこと。その年、森高教授は58歳で病身を思わせるような痩せ方をしていたようだ。

義麿ノートから、森高と義麿の微笑ましい師弟関係も読み取れた……。

夏休みは観測所の建設現場近くの宿舎で森高と起居をともにし、建設工事を目の当たりにして面白く観察するだけでなく、地震観測のシステムを学ぶだけでなく予知の可能性を教わり、現場で穴掘り作業を手伝うなどもしていた。

現場には作業員を仕切る人夫頭・竹島伸吾郎、通称「竹さん」とよばれる人物がいた。出身が南紀田辺町なので、藤白神社も鈴木家のことも知っていて、義麿少年に

 

「坊ちゃんは将來、藤白神社さんの宮司さんになんのと違ふんかな」

「坊ちやんはやつぱり、わしらとは違ふ世界の人やで。こんな穴掘りみたいなことを見とらんと、眞面目に勉強せえなあかんと違ふんか」

 

そう言ったり諭したりするような人物。しかしながら「坊ちゃん」が土木工事を面白がって覗き込んでいるのは「竹さん」は嬉しいらしいし、義麿のほうもトンネルがだんだん奥深くなるのを楽しんでいるのがノートから伝わってくる。

 

トンネル工事のほうは順調かと思いきや、「事件」が起きる。

 

前兆は前日昼下がり、義麿少年が森高先生の傍らにいる時、午後の作業に入ったばかりのはずの「竹さん」が難しい顔で事務所にやってきた。

岩盤の固い所にぶつかりらちがあかない。掘る向きを変えるわけにはいかないだろうか?

「竹さん」の訴えに、森高は即座に拒否。

「設計図どおりにやってもらわなければならない。地質調査では岩盤はなかった」

「でも現に岩にぶつかってしまった。なんなら先生が自分の目で確かめてください」

義麿少年の目にも随分険悪な状態だったらしいーー。

 

やりとりの佳境に入ろうとしているところに携帯電話が鳴った。

相手は鳥羽だったーー。

 

第五章 天智天皇の贈り物

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電話口での鳥羽の知らせーーはじめは会話の齟齬が合わないもののーー牛馬童子の頭が見つかったという。

大毎新聞の販売店のおやじさんが朝の散歩中に偶然発見したという。

発見場所は、高槻市にある古墳の近くーー今城塚古墳というところだという。

今城塚古墳は「蘇る大王墓」真の継体天皇陵の可能性があるとして、古代史研究の世界では脚光を浴びている場所。

その今城塚古墳は『いましろ大王の杜』という名称で公園化されていて、古墳から出土した埴輪のレプリカが見渡すかぎり並んでいるーーその数は全部で200体ほどーーその中に紛れ込むかのようにポツンと置いてあったのだという。

 

鳥羽はこれから高槻の発見現場の方に行くので浅見を誘っての電話だった。

義麿ノートの閲覧をここで中断するのは惜しい……

鈴木義弘の葬儀が迫っているのも気になる……

しかしながら鳥羽の力説で牛馬童子の頭が発見された現場に行くことにした。

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実は鳥羽が浅見を強く誘うのには理由があった。

これから行く現場先の公園を管理している今城塚古代歴史館の館長・但馬がぜひ浅見に会いたいとのことで約束をとりつけていたのだという……。

 

高槻市の現場に行く道中、鳥羽に「義麿ノート」が一種のドキュメンタリー風に読めると魅力を伝えるが、鳥羽はまだ義弘殺害につながる記述に当っていないことに関して若干ガッカリ気味。

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首が発見されたいましろ大王の社に併設されている今城塚古代歴史館に到着、浅見は但馬館長と対面。

『旅と歴史』に掲載された浅見の記事「箸墓の謎」を面白く拝読してどうしても浅見に会って古墳や歴史館のことを話し合いたかったらしい。

宮内庁が2つの継体天皇陵の存在を看過してくれた奇跡、万世一系と信じられていた天皇家それ自体が3つの王朝の系列に分かれて

早速牛馬童子の首を見せてもらうことに。

(続く)

 

今後の展開は?事件を握るキーワードは?

※後日詳細をアップします!

 

 

まとめ:受賞作品の発表が待ち遠しい!

 

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