沈まぬ太陽は実話?事実との違いやモデルについても

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山崎豊子の名作「沈まぬ太陽」は、渡辺謙さん主演で映画化され、さらに上川隆也さんが主演するドラマとしてWOWOWで放映されました。この作品のストーリーは、実際の事件と人物を基にしていると言われています。物語は日本航空(JAL)の元パイロット、宮本五郎がモデルとなっており、彼は第二次世界大戦後の民間航空業界の発展と、その中で生じた多くの人間模様を描いています。宮本五郎は、その時代の航空業界の様々な問題や対立に直面しながら、キャリアを築いた実在のパイロットです。この物語は、航空業界の現実を反映していると同時に、人間ドラマとしても深く感動を与える作品です。航空業界の厳しい現実と、そこで働く人々の熱い思いを描いた「沈まぬ太陽」は、実際の出来事と人物をもとにした物語であるため、多くの人に感動を与えています。

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沈まぬ太陽は実話を基にしたフィクション

山崎豊子氏の『沈まぬ太陽』は、国民航空を舞台にした長編小説です。労働組合委員長である主人公・恩地元は、経営陣に強硬な労働改善を要求し、結果的に海外僻地に左遷されます。詫び状を書かずに海外勤務を続ける恩地は、のちにジャンボ機墜落事故の遺族係となり、新会長のもとで会社改革に取り組むことになります。

この物語は、実在する人物や事件をヒントにしつつも、完全なノンフィクションではなくフィクションが織り交ぜられています。山崎氏の作品には実際の出来事を取り入れる手法が多く見られ、『沈まぬ太陽』もその一例です。つまり、この小説は「実話に基づいたフィクション」として読むのが適切です。

 

 

沈まぬ太陽・事実との違いは?

「沈まぬ太陽」の物語と実際に起きた出来事には、以下のような比較点があります。

恩地元と小倉寛太郎氏の人生:リアルとフィクションの対比

山崎豊子の『沈まぬ太陽』の主人公・恩地元のモデルとされる小倉寛太郎氏の人生と、物語内の恩地の運命は、多くの点で重なります。両者は労働組合活動に真剣に取り組んだ結果、長期にわたる海外僻地勤務に送られました。恩地はその後、連続事故により日本に戻りますが、小倉氏は事故直接対応に携わらず、アフリカにて別の仕事をしていました。

恩地は事故現場での遺族対応に尽力し、のちに国見会長の下で会社改革に挑みますが、政治と利権の網に阻まれ、再び海外赴任となります。対して小倉氏は伊藤会長のもとで会社改革に取り組みましたが、やはり途中でアフリカへ戻されます。

これらの事例から、恩地と小倉氏の経歴は実話に基づいているものの、物語の展開にはフィクションが加えられていることが明らかです。恩地元のキャラクターは、小倉氏の実際の経験をベースに、山崎豊子が創造的な要素を加えて生み出したものと言えるでしょう。

123便墜落事故

「沈まぬ太陽」と現実の類似点 山崎豊子の「沈まぬ太陽」に登場する123便墜落事故の描写は、1985年の日本航空123便墜落事故に酷似しています。ドラマでの123便事故は、実際の事故と日時、乗客乗員の数、生存者と死亡者の数が同じで、単独機の航空機事故としては死亡者数が過去最多です。

事故原因に関しても、1978年の「しりもち事故」後の圧力隔壁修理の不備が要因とされる点が共通しています。この事故を題材にした小説と現実の類似性から、多くの人々がこのドラマを実話に基づいていると捉えることが理解できます。

加えて、「沈まぬ太陽」の連載や映画化に対する日本航空経営陣の反応は、作品のリアリティを一層強調しています。週刊新潮の連載中、日本航空機内にはこの雑誌が置かれなかったというエピソードも、その反応を示しています。この事故に関する描写は、ほぼ実話に近いと言えるでしょう。

 

国民航空の腐敗と日本航空の現実

山崎豊子の長編小説『沈まぬ太陽』で描かれる国民航空の腐敗状態は、ドラマや映画の中で深刻な状況として表現されています。経営陣と政治家や官庁との癒着、私腹を肥やす社員の存在が、事故の頻発や対応の不備を生む背景として描かれています。

作中には、国民航空の関連会社によるニューヨークのホテル購入や全面改装、財政破綻へと進む様子が描かれます。これは日本航空の関連会社・日航開発がエセックス・ハウスを買収した実際の出来事に酷似しています。日航開発の決算では巨額の経営損失が計上され、無計画な海外投資や労働組合活動による人件費の高騰がその要因とされています。

山崎豊子は『沈まぬ太陽』でこれらの出来事を基に物語を構築していますが、すべてのエピソードが実話というわけではありません。一部のエピソードは実際の日本航空の歴史を反映していますが、作品全体としてはフィクションの要素が含まれています。そのため、ドラマの描写は事実とフィクションが混ざった内容となっていることを理解することが大切です。

「沈まぬ太陽」の物語と現実の再構築

「沈まぬ太陽」は山崎豊子氏による作品で、実際の関係者への取材を基にしたが、純粋なノンフィクションやドキュメンタリーではなく、フィクションとして再構築された物語です。これは、現実の出来事に小説的な要素を加え、読者の興味を引きつけ、感情移入を促し、ドラマチックな展開を生むためです。

例えば、主人公恩地のモデルである小倉氏は、実際には事故後の遺族との接触がなかったが、小説では遺族係としての苦悩が描かれます。これは、事故の厳しい現実を主人公を通して描くための脚色です。

また、小倉氏の実体験だけではドラマとしての展開には足りず、物語を豊かにするために、恩地の対極として行天のキャラクターが作られ、国民航空や政治家、官僚が悪者として描かれています。これらはすべて物語を盛り上げるための工夫であり、山崎豊子氏が言うように「事実に基づき小説的に再構築された」作品であると言えます。

沈まぬ太陽の実在のモデルは?

小倉寛太郎の人生と業績

山崎豊子の小説「沈まぬ太陽」の主人公・恩地元のモデルとなったのは、実在の人物である小倉寛太郎さんです。彼の人生は小説の物語と多くの共通点を持っています。小倉さんは日本航空の労働組合委員長として活動し、会社の経営陣と対立しました。1960年代前半、彼は日本航空初のストライキを主導し、その結果、経営陣から敵視されました。

この対立により、小倉さんは約10年間、海外の僻地に勤務させられます。

1985年に日本航空123便の墜落事故が起こると、小倉さんは社内改革を進めるため、会長室部長に抜擢されました。この時期、彼は組合活動を通じて労務対策の改革に取り組みます。しかし、1987年に労使対立が深刻化し、会長の退任に伴い小倉さんも会長室部長を辞任します。その後のアフリカ勤務は、彼にとって心の癒しとなりました。

定年退職後、小倉さんはアフリカ研究家、動物写真家、随筆家として活躍しましたが、2002年に肺がんで亡くなりました。彼の生涯は、小説「沈まぬ太陽」のストーリーと重なり、非常にドラマチックなものでした。

小倉寛太郎さんの生きざまは、多くの人に影響を与え、記憶に残る存在となっています。

創作キャラクター・行天四郎

山崎豊子の『沈まぬ太陽』に登場する行天四郎は、労働組合から経営側へと鞍替えし、役員に上り詰めるキャラクターです。

物語の主人公・恩地元とは異なり、行天四郎には実在のモデルは存在しないとされています。行天は、恩地と対照的なエリートの道を進むライバルとして、物語の緊張感を高めるために創作されたキャラクターです。

彼の存在は、劇的な対比とドラマを作品に加える役割を果たしています。

 

まとめ

山崎豊子の『沈まぬ太陽』は、現実に起こった航空事故を基にしたストーリーを展開しています。実際の事実とフィクションが織り交ざった作品で、実話に基づくと誤解されやすい部分もありますが、重要なのは物語から何を学ぶかという視点です。

この物語は、単に事故の発生とその背景を描くだけでなく、健全な経営、労働環境、組織の運営などの重要なテーマを提示しています。視聴者や読者は、物語の中で描かれる様々な事象を通して、これらのテーマについて深く考える機会を得ることができます。特に事故を防ぐための組織運営や働く人々の権利と責任に焦点を当てることで、現実世界の企業経営や労働環境に対する理解を深めることが可能です。

『沈まぬ太陽』を観る際は、実話とフィクションの区別にこだわるのではなく、物語が提供する教訓や示唆に注目してみると、より豊かな視野で作品を楽しむことができるでしょう。この作品を通じて、現代社会の組織運営や労働問題について新たな視点を得ることが期待されます。

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