『君の膵臓をたべたい』で桜良の「共病文庫」を唯一知っている「僕」。
共病文庫の全文をまとめました。
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君の膵臓をたべたい「共病文庫」全文まとめ
4月12日
4月12日 〇〇君に秘密を知られた、焦った、けど、気にしてないふりをした。そしたら向こうも普通の顔してた、驚き、驚き驚きっ!そんな人いる?
実は前からちょっと気になってた。ずっと本と向き合ってて、まるでジーッと自分と戦っているみたい。
秘密を知っているクラスメイト君と、図書委員になった。気をひくためにわざと分類を間違えた。
死ぬまでにやりたいことリストを作ってみた。
死ぬまでにやりたいことリストを作ってみた。
男の子とお泊り旅行をしたい!
美味しいラーメンを食べたい!
恋人じゃない男の子と、いけないことをしたい。
とても悪くて、いい日だった。
少しだけ泣いた、今日は泣いてばかりだ。
本当はすごく怖い
二週間の検査入院、本当はすごく怖い、怖くて怖くてたまらない。
彼の顔を見たらほっとして、思わず涙がこぼれそうになったから、慌てて隠れた
でも、入院したからできることも見つけた。実は、とある二人を鉢合わせさせようとしている。仲良くなってほしいんだけど、なかなか難しいみたい。
ものが食べられない、体がだるい。真夜中、彼が病院に忍び込んでくれた。勇気を出して、真実と挑戦ゲームを挑んだけど負けちゃった。どうしても彼に聞きたいことがあったのに。
一人になってから、泣いた。
彼が帰って一人になってから、泣いた。たくさんたくさん泣いた。1日でも長く生きられるよう、頑張ろう…
今日は動けない。もう何日も食べていない。
もう最後ってことみたい。
つかの間の外出許可。もう最後ってことみたい。最後に彼ともう一度旅行して、桜を見に行く約束をした。いつか恭子とも行きたかったなあ。
でも彼と一緒に居られるそう思えるだけで幸せ。
よおおおし、一時退院だ、今日はなんだか元気、今から会いに行くからね。
君の膵臓をたべたい「共病文庫」全文の解説
共病文庫の名前の由来・意味
映画では「共病文庫」という名前についての説明がありませんでしたが、原作小説では名前の由来が書かれています。
病気になったって分かってから色んなことを考えたんだけど。
その一つとして、病気になった自分の運命を恨まないって決めたっていうのがある。
だから、闘病じゃなくて共病文庫っていう名前にした。
「共病文庫」の名前の意味は、桜良の前向きな生き方・考え方にも通じる部分なので、なぜ映画でこの部分の描写がなかったのか不思議に思います。
しかし映画・ストーリーを通じて、病を恨まず、精いっぱい生きることを謳歌しようとしている桜良の姿を見ていると、自ずと「共病文庫」と名付けた意味も伝わった人も多かったのではと考えられます。
共病文庫にすら書かれていない恋心
原作では桜良が「僕」に恋心を抱いていた描写がありますが、映画版では態度ではそれっぽいものの、共病文庫など、文字・文章として「恋心を明確にした表現」はありません。
作者自身も「これは恋愛小説ではない」とコメントしていたりします。
実写映画版『君の膵臓をたべたい』だけを観た人にとっては「なぜ『好き』と書いていないの?告白は???」ともどかしい思いをもった人もいるかもしれません。
これは原作小説の方には恋心と思われる描写にも表現されていたのですが
恋愛とか友情とか、誰でも分かるような言葉ではくくれない、2人の関係
の物語だからです。
強いていうなれば2人の関係は『君の膵臓をたべたい』関係です。
共病文庫を知っていた人物
- 桜良本人
- 桜良の母親
- 僕(志賀春樹)
「僕」は偶然にも共病文庫を知ってしまいますが、もし仮に「僕」が知らなかったら共病文庫はどうなっていたのでしょうか?
物語は「共病文庫」からはじまっているので、「僕」が共病文庫を知らずにいたら…なんて野暮な想像でしかありませんが…
桜良は「運命は必然」ともとれる言葉を発しています。
僕は他人に興味がなかったけれども、本には興味があった。
そして本を拾った。中を見てしまった。
こういった、一つ一つの行動の選択を決めてきたことが「運命」なので、「僕」は必ず知ることになっていたと考えられます。
個人的に、共病文庫を落とすことなく「僕」が知ることもなかった場合には、桜良のことなので、図書室にそっと文庫本を紛れこませていたのかもしれないなあと想像します。