平沢進の「夢の島思念公園」について、歌詞の意味や世界観を考察してみました。
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アニメ妄想代理人オープニング曲「夢の島思念公園」について
どうも、昔のアニメを見て唸っている三神かな子です。
最近、友人に勧められて観た…もとい、観てしまったのが「妄想代理人」。
内容がね……内容がさあ……orz
そこはちょっと置いておきまして(汗
中でもインパクトが強かったのがオープニング曲です。
これ今の時代だと東日本大震災やほかの災害、事件などもあって「不謹慎」とか思う人がいるかもしれないので……自己責任で再生してください。
しょっぱなからこのオープニングを見て「観るのやめよう」かと思ったくらいです。
それくらいインパクトというか「やばい」「怖い」感があります。
あとオープニングの曲の音圧というか、歌詞の意味とかも…考えさせられてしまいます。
そこで今回は「夢の島思念公園」の歌詞の意味や世界観について、ネット上の意見等もまとめつつ考えてみました。
備考:妄想代理人はdアニメストアで見れます!
「夢の島思念公園」歌詞に出てくる単語の意味
夢の島
「夢の島」と聞くと東京都江東区の「夢の島」がまっさきに連想されます。
人工島であること、昔ゴミ捨て場だったことの印象が強いですが……戦後の日本の発展を象徴する場所ともいえます。
実際に「夢の島公園」と呼ばれるエリアがあります。
思念
思い考えること。常に心に深く思っていること。
キノコの雲
連想されるのは第二次世界大戦の原爆の雲の形ですよね
空に見事なキノコの雲
餌を「はむ」
- 食物をかんで食べる、飲み込むの意味
- 損なう、害するの意味
- 俸給などを受けるの意味「高禄を―・む」
小道で餌をはむ小鳥の午後
飛行機雲
澄み切った青空を横切る白い雲…
清々しさを思い浮かべますが、一部、戦時中の戦闘機が出す飛行機雲なのでは?
という解釈もされています。
あんなに見事な飛行機雲
万事に休す
- もう施すべき手段がなく、すべて終わりである。何事も全く見込みがない
- 俗世間のことからすべて退く
ほら「万事に休す」の声も 風がかき消す
「夢の島思念公園」歌詞の表現から見えることは?
「きのこの雲」が。
午後に小鳥が餌をついばむような穏やかな時に現れたのでしょうか?
終末と平穏が垣間見える時ですが、叫びなのか感嘆なのか分からない「コーラス」があります。
木漏れ日が降り注ぐ芝に触れることができるということ。
ランチのベンチの上では夢を語り合っている人がいるようです。
しかしながら、胸の中にはざわめきがあります。
胸の奥底に憂鬱を沈めて、この平穏な時を過ごそうとしています。
なんの不安などなく明日がくると思っています。
午後、昼下がり、明日が近づいているので、明日が来ることに関して何も疑いもない状態かもしれません。
見事な飛行機雲と、人気の通りに人が交差する午後。
コーラスは叫びなのか賑やかしなのかなんなのか?
そんな中、微笑んで手を取ってキミと歩こうとしています。
「万事に休す」という声も風が消してしまいます。
「明日」について気になる気持ちがないわけではないけれども
そういったことすら胸に鍵を掛けてしまいます……
「夢の島思念公園」歌詞の意味や世界観は?
戦争色の強い歌?
戦争を思わせる単語(きのこ雲、飛行機雲、戦後発展をなした夢の島等)が使われているので、戦争によって一瞬で平和が消えてしまう歌と思いがちですが、
あくまで「象徴」であって、戦争だけではない世界観、概念があるので、もう少し掘り下げていきます。
タイトルが
夢の島「思念」公園なので、この『思念』にあたる部分が一番大事なように思います。
日常や平和が終わってしまう瞬間の曲?
大きな災害や不吉な表現と、どこにでもある日常の平和な風景が常に対比されています。
- 戦争を思わせる「きのこ雲」
- 見事な飛行機雲
- 津波、雪崩……
これらの単語のそばには
「穏やかで、どこでもみられるような日常の午後」
の風景がセットになっているんです。
日常が終わる可能性を他人事に思っている歌
大きな災いが、平和な日常を一瞬で襲い、突如世界が終わるような歌の半面、「みんなそういうの知っているのに見てみぬフリして暮らしている」という意味合いの歌詞も見受けられます。
胸の中で波の音がしていて、憂鬱を沈めたりしている。
明日は津波なんて起こらないって思い込もうとしている。
そういう風に読み取れる部分があります。
でも、そうじゃないことを私達は「知っている」はずです。東日本大震災はじめ各地の災害を通じて。
でも、どこか他人事というか、知っているけれどもまさか自分には起きないだろうっていう気持ちですね。だからこそ、そういう気持ちを胸の中に沈めたり、胸に鍵を掛けたりしているのだろうなと……
次の瞬間、世界が崩壊したり自分が消えるかも知れない
災害、事件など……私達は世界が、自分自身が、一瞬で消えてしまう可能性があることを分かっているはず。
でもそれらを胸に沈めて暮らしています。
怖さを歌っているというよりは、
他人事で見ないふりしているけど、いつ何時「終末」がくるかわからないの知ってるよね?
と語りかけている歌なのではないでしょうか?
そしてそこから「日常をただ生きている、それだけでいいの?」と問われているようにも感じます。