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破綻への序章
新宿区下落合にある12階建てマンション「高田馬場コーポラス」ーー
神田川を渡る通称「染屋橋」の真ん中で立ち話をしていた女性2人ーー片方は高田馬場コーポラスの管理人の妻で、もう一人は高田馬場駅への道を訊ねていた。
道を訊ねていた女性が”異変”に気づき、管理人の妻も思わず振り返って見上げると、高田馬場コーポラスの壁面を人間が落下していくのを目撃した。
自転車で通りがかった男性・長谷川が警察に通報。
その直後、青ざめた若い女性と会い、もしかしたら知っている人が自殺したかもしれないという……。
現場は戸塚署刑事課長・橋本が執った。
死因は転落死、死亡したのは高田馬場コーポラス12階に住む当山林太郎(40)と分かった。
独身で「藤ノ川」という小さなコーヒー専門店をもっていた。
管理人の妻・浅田登紀子(44)いわく、「愛想のない人であまり笑った顔も見せませんでした」という。
この日は管理人の浅田武司(48)は外出中で、登紀子の連絡で急いで戻ってきた。
登紀子と橋の上で落下を目撃したのは多岐川萌子。港区南青山に住んでいるという。
青ざめた若い女性は友杉範子といい、25歳ホステス。当山へ電話すると「俺は死ぬ!」といって電話を切ってしまったという。集金目当てで当山のマンションへ来たもののノックをしても応答がなく鍵がかかっており、居留守を浸かっていると思ってしつこく電話をしていたという。
当山の部屋は鍵がかかっており密室。LSDらしい薬物が残されていたこと、部屋の鍵は室内の上着の胸ポケットにあったことから、自殺の線が濃厚だったーー。
「当山林太郎(40)」という字幕をテレビニュースで観た堀ノ内は、2年前5月の那智勝浦での出来事が脳裏によみがえってきた。
名簿ミスの際にみせた、当山という男の油断のならない面構えや内側の強靭さをそもまま面に現したような迫力を思い出し、自殺なんかするわけがないと思ったーーしばらくのあいだ、当山の事件が気にかかってしかたがない。
樋口久美との結婚が近づき、準備やらなにやらで気が紛れているものの、どうしても頭から離れないーー
(あいつに話してみるかーー)
結婚式の招待状も送る中ながら5年ぶりの再会となる、浅見光彦。
印刷した葉書の一端に「この野郎」と殴り書きしてあり、探偵として活躍している様子からもう別世界の人間かと思っていたら相変わらずだったので堀ノ内は安心していたのだ。
浅見光彦は母・雪江に見送られながら、堀ノ内の結婚式へと参列。
自分で軽度の女性アレルギー、宿命的なマザコンと自覚している浅見。
高校時代からの仲の堀ノ内の結婚に心中複雑な思い。
その堀ノ内から「事件」について聞かされる。
堀ノ内の”気がかり”を背負うことになった浅見は、堀ノ内のハネムーンを見送ってから、戸塚署へ寄ってみた。橋本刑事課長とは、たまたまある事件を手伝わされた仲だったので、より浅見をその気にさせる一因にもなっていた。
密室だったことや、管理人の妻が目撃者だなんて偶然にしては出来すぎていることなど情報をやり取りしているなか、当山が高知県幡多郡西土佐村の出身ということ、平家の落人部落で地元では「隠れ里」と呼んでいることも聞いた。
堀ノ内夫妻がハワイみやげを持って浅見家を訪れたのは10日後ーー
浅見が堀ノ内に事件は自殺を否定できるような根拠がないこと、当山の出身が高知ということを話すと、堀ノ内から当山は当時那智勝浦で一人車を運転して下船した話がでた。
さらに浅見によって詳しく出身地の住所を聞いた堀ノ内は仰天する。
同じ船に乗っていて転落事故で死んだ客の故郷も同じ住所だったーー。
堀ノ内から転落事故と生命保険会社の調査員の話から聞いた稲田夫妻のこと、多額の保険金を聞いた浅見は俄然興味がわき、本格的に調べることになったーー。
浅見は改めて橋本刑事課長に電話して聞いてみると、警察は自殺事件をこれ以上追いかける意欲がないことを確認。
さらに保険会社の調査員・三田村博に保険会社で会う段取りもつけた。
家のスケールに見合わない保険金額の大きさ、死亡した状況など、疑わしい点はあったものの、多社との相談の結果、全額支払いに応じざるを得ないと結論づけたのだという。
逆になぜ古い事件を調査しているのかを三田村に訊かれ、事情を話すと三田村は何かしら誤解をしたらしく、三田村の上司・野村調査部次長が登場。
ぜひ調査を続けてほしいこと、保険業界全体のために尽力してほしいこと、必要な経費を支払うだけでなく不正行為があったと認められたら各社ともに謝礼を支払うこと、なんだったら調査部の顧問になってほしいこと等々が野村の口から飛び出し、話が大きくあらぬ方向に広がっていくのをあっけにとられる浅見だった。
平家の里へ
浅見は堀ノ内が乗る「しーふらわー」で初めての長距離船旅に快適さを感じていた。
例の転落現場も確認し、高知にたどり着く。
兄の指示で、兄洋一郎の同期・県警本部長の吉野へ「舟和」の芋羊羹を渡した。
西土佐村藤ノ川へ向かうため、急行「あしずり1号」に乗ると美しい娘と出会う。
偶然にも江川崎駅で降りる浅見と美しい娘だったが、浅見が声をかけると娘は逃げるように立ち去ってしまう。
藤ノ川へ向かうバスの車内では、老人が娘に語りかけ「東京はどうだった?」「ノリちゃんの嫁さん」「当山の倅も死んだいうし……」などの言葉を投げていた……。
浅見だけ終点まで乗り、出張所で当山について訊ねてみると、当山自身流れ者の父とともに村にやってきたらしい。
ずば抜けて優秀な少年だったものの、父親の武男が古傷の骨髄炎を悪化させて亡くなり、高校進学を断念、営林署の仕事に従事。
しかし卒業して2カ月も経たないうちに世話になっている家の少年とともに村を出ていってしまったという。
その少年が稲田教由だった。
稲田教由は音信不通になっていたものの、4年ばかり前に役場宛に戸籍謄本の請求が来たことで東京にいることが判明、父親の稲田広信は喜んで一度帰ってくるよう手紙を書いたもののすぐには戻らず、2年前に突然帰ると葉書をよこした直後にフェリーから転落して亡くなったーー。
教由の父・広信から話を聴くために家に行くと、あの美しい娘の姿がーー
しかし不審者扱いされてあわやというところだったが、駐在所の警官に事情を話して誤解が解かれた。
稲田広信は長男・信隆の急死、次男・教由の不慮の死を語る時は涙にくれてしばらく口も聞けない様子だったが、ぽつりぽつりと話してくれた。
美しい娘は稲田広信の孫娘・佐和といい、祖父をたしなめながらお茶を出す姿や言動に浅見は魂を吸い取られそうな気持ちになっていた。
広信は「あれ(佐和)には母親の血ばかりが受け継がれておりましてな、祖父(じい)の口から言うのもなんだが、従わにゃならんようなとこがあるとですよ」とこっそり浅見にもらした。
佐和の母親は稲田一族の総本家の人間、壇ノ浦の戦に敗れ、この地に流れ着いた稲田朝臣信忠の直系なのだという。
浅見は改めて教由について聞き込みをすると、広信は教由から届いていた葉書を見せてくれた。
村から出ていった直後の葉書では、タロちゃんとの様子も書かれていた。
大阪から名古屋までヒッチハイクをした様子が伝わってくる数枚の葉書の最後は桑名市にいるものだった。
以来20年音沙汰なしだったがの、2年前に突然手紙が来たという。
なぜ頻繁に手紙を出していたのに20年間ぷっつり音信不通になったのか?
そして佐和が東京へ言っていた目的は、教由の奥さんーー多岐川萌子ーーに会うことだったという。
しかし会えずじまい。訊ねていっても留守だったり電話をしても忙しいと言われるなど、佐和は避けられていると思ったようだった。
佐和が多岐川萌子にお礼を言いたかっただけで、そのお礼というのが叔父の遺産だからと1000万円送ってくれたためだった。
遺産の一部を気前よく渡すようないい人が、夫の姪である佐和を避けたのには腑に落ちない。
優しい人なら、叔父が亡くなったことを知らせる手紙すらくれなかった、葬式やお寺はどこに祀ったのか、そもそも転落事故の際に藤ノ川に立ち寄らず帰ったというのもちょっとおかしい。
過去にとらわれないクールな女性だとしたら、1000万円を送る説明がつかない……
東京に帰ったら多岐川萌子に会って教由の過去や疑問を聞いて連絡する、と稲田家に約束をして立ち去ろうとすると「既に最終バスはない」と佐和に言われ、、近隣に宿がないため、広信が複雑な表情をしているなか、稲田家に厄介になることに。
佐和が夕飯の用意をしている間、広信から佐和は19歳になること、妙に先のことがよく分かる娘だと聞かされる。
夕食が終わり、寝床につく浅見はロマンスやら年の差14歳である佐和を意識しつつ、次の日を迎えた。
早朝、佐和に「峠へ行ってみませんか」と誘われ、2人で出かけた。
足摺岬や太平洋、南四国の海岸線を展望した後、正午に出るバスで浅見は帰途についた。
佐和がバス停まで送ってきてくれ、椎茸の入った籠を土産にくれた。
停留所の前の店に時刻表が張り出されているのを発見した浅見は、実は昨日のうちに帰途につけたこと、「最終バスはない」と言っていた佐和が実は嘘をついていたことが分かった。
なぜ?と睨むように覗き込む浅見の目線に、佐和は首をすくめていたずらっぽく笑った。
浅見はこのまま別れたくない思いが突き上げて来るのを感じた。
「また逢えるといいな」
「逢えます」
佐和はあっさり断言した。